【私が体験した、3.11で思うこと】

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こんにちは。

 

目標達成コンサルタント・アドバイザーの株式会社マクレス田中直樹です。

 

今回のテーマは、「私が体験した、3.11で思うこと」 です。

 

今週も、新型コロナウィルス感染症が、世の中の生活含め全ての物事の優先順位一番になっています。

もう少しの辛抱、と信じて過ごしましょう。

 

さて、今日は3月11日、報道もされている通り、東日本大震災が起こった日です。

「午後2時46分」 忘れもしません。

 

私は、当時前職で北海道と東北7県全域の北日本を統括する責任者でした。

その頃は、札幌に住んでいましたが、1週間ごとに札幌、仙台で業務をする日々でした。

通常は隔週で、月曜日、朝一(8時頃)の飛行機で仙台入りし、金曜日最終便(19時頃)で札幌に帰ってくるスケージュールを2年くらい行っていました。

 

2011年3月11日は金曜日でした。

ただ、その日は札幌で午後からアポイントがあった為、いつもの週とは違い、最終便ではなく、金曜日の朝一で仙台から午前中に札幌に帰ってきました。

 

オフィスに着いてしばらくして、あの出来事です。

札幌でも相当揺れましたので、大変なことになったと感じ、しばらくすると仙台空港が津波にのまれた映像が。。。

 

それからは、ここで書ききれないくらいの人としての心配やFC加盟店のオーナー、従業員、モバイル、プリント直営店の社員、アルバイト、パート含め総勢約300人(東北はその半分くらい)の責任者としての動きを含め、対応に追われました。

 

とにかく現地に!!

 

という想いと、本当に行けるのか?

という思いもありましたが、絶対に行くという想いが何とか10日後くらいにやっと山形空港経由で現地入りの目途がつきました。

 

その時も「とにかく行くんだ」という「目標設定」の元、行ける方法を探し、現地の知人でホテルを経営されている方に何とかお願いし、仙台入りが叶いました。

その時のことは一生忘れません。

 

現地では、ガソリンがほとんど無い中、給油所付きの配送センターがあったので自社配送車のワゴンに乗り込み、とにかく宮城県、山形県だけでもと思い、札幌から持てるだけ持ってきた日用品を渡すことも含め、店舗の状況と従業員の皆さんの顔を見に巡回をしたことは今でも鮮明に覚えています。

 

まだまだ、お伝えしきれない、ドラマや感謝もありましたが、ここでは書ききれません。

 

そして、現在も復興途中の地域もありますし、あの出来事は風化してはいけないと誰もが思っています。

 

こうして、書かせて頂くのも、当時リアルで接していた者の責任でもあると感じています。

 

また、地震によるご自宅の倒壊、津波による被害、原発による避難などはありましたが、不幸中の幸いですが、当時の仲間たちは一人も犠牲者は無く、それだけでもなんとか救われた気持ちでした。

ただ、被害を受けられた皆様も多くいらっしゃる中、我々だけが喜んではいられないと認識しております。

 

当時は、写真関連の事業に携わっていましたので、写真、アルバムなどを少しでも復活させるべく、破損、色落ちなどを修復するお手伝いはさせて頂きました。

画像が残っている想い出はかけがえのないものと思っております

 

知らず知らずのうちではありますが、思い返せば、

「目的」として、「とにかく仲間の顔が見たい、物資を少しでも役立ててもらえるように持参したい」

「目標」として、「とにかく現地に行く方法を考え、飛行機、宿泊、交通の手配を動き、何とかたどり着きたい」

ということだったと感じました。

 

その時に、こうした意識が気づいていれば、もっと自身の行動が理解しやすかったかもしれません。

 

人は、常に「自身の意志を意識して、夢、目的、目標を明確にすること」で、それを叶える行動がしやすくなると、改めて感じました。

 

現在は、コロナ感染症が世界や日本を大きく揺さぶっています。

今は、辛抱するしかないですが、必ず終息するはずです。

今、ジャンプの前の力を貯める時間かもしれません。

 

今できることを行って、一緒に乗り切りましょう!!

 

あなたの人生の夢、目的、目標はなんですか?

あなたの1年後、3年後、5年後、10年後、そして○○年後のありたい姿、やりたいことは何ですか?

 

今日は、14時46分 東北に向かって合掌します。

 

ではまた